投稿日: 2025-12-04
先日、小田原への出張の際に出会った色紙を購入し、
院長室に掲げました。
記されていたのは、北条氏綱公の『御書置』にある言葉です。
「大将によらず、諸将までも義を専らに守るべし」
「皆皆 役に立たんも 又立つまじきも、大将の心にあり」
小田原と言えば北条氏。
特に氏綱公は、虎の印に刻まれた「禄寿応穏(ろくじゅおうおん)」
──“領民の財(禄)と生命(寿)は、穏やかであるべき”──
という政治理念を掲げた武将として知られています。
私は学生時代から、義を重んじる武将である
上杉謙信・武田信繁・北条氏綱公らに強く惹かれてきました。
特に氏綱公の『御書置』の第一の文は、
新しい手帳を書くたびに裏表紙へ写し続けてきたほど、大切にしている言葉です。
一、大将によらず、諸将までも義を専らに守るべし。 義に違いては、 たとえ一国二国切取りたりという共、後代の恥辱いかが。 天運尽きはて滅亡を致すとも、義理違へまじきと心得なば、 末世にうしろ指をささるる恥辱はあるまじく候。 昔より天下をしろしめす上とても、一度は滅亡の期あり。 人の命はわずかの間なれば、むさき心底、努々あるべからず。 古き物語を聞ても、義を守りての滅亡と、 義を捨てての栄花とは、天地各別にて候。 大将の心底、たしかに斯くの如くんば、諸侍義理を思はん。 其の上、無道の働きにて利を得たる者、天罰終いにのがれ難し。
この教えは、現代の医療にも通じると思います。
えだ歯科医院として、そして院長として
🟦 誰に対しても「義」を第一に。
🟦 人の優れたところを見抜ける大将(リーダー)であれ。
を忘れずに歩みたいと思っています。
院長室を出るとき、この言葉を見て、
自らの心のあり方を常に整え、
患者さん・仲間・地域に誠実に向き合える存在でありたいと願っています。
子供たちにもこんな言葉を残せる父でもありたいと思います。

お前はあらゆる面で私よりも生まれつき優れていると見ているが、それでも言い残しておきたいことがある。昔の賢人たちの名言を聞いても忘れてしまうことがあるだろうが、親の遺言であれば心に残り、忘れがたいものになるだろうと思い、このように書き記す。
一、大将はもちろん、諸々の侍に至るまで、「義(人としての正しい道)」を第一に守らなければならない。 義に背いて、たとえ一国や二国を切り取ったとしても、後世の恥辱はどうなるだろうか。運が尽きて滅亡したとしても、「義理だけは違えまい」と心がけていれば、来世で後ろ指を指されるような恥辱はないはずだ。昔から、天下を治めるような身分であっても、一度は滅亡の時期が来るものだ。人の命はわずかの間なのだから、卑しい心根を持っては決してならない。 昔の物語を聞いても、「義を守っての滅亡」と「義を捨てての繁栄」とでは、天地ほどの差がある。大将の心がしっかりこうであれば、侍たちも義理を思うようになるだろう。そのうえ、非道な行いで利益を得た者は、天罰をどうしても逃れることはできないのだ。
一、侍から身分の低い者、百姓に至るまで、誰のことも不憫(大切)に思うべきである。 そもそも、世の中に「捨てて良い人間」などいない。器量、体格、弁舌、才能が人に優れ、しかも道理に通じている「あっぱれな良い侍だ」と見える者でも、思いのほか武勇がダメな者がいる。また、何事にも不案内で、人から見放されているようなうつけ者でも、武道においては剛強な働きをする者が必ずいるものだ。たとえ身体が不自由な者であっても、使いようによって重宝することが多いのだから、それ以外の者で、捨てて良い者など一人もいないはずだ。 その者が役に立つ場所を見つけて使い、「役に立たないうつけ者だ」などと見限ってしまうことは、大将の心構えとしては浅ましく狭量なことだ。一国を持つ大将の下には、善人も悪人もどれほどいることか。「うつけ者」だからといって、罪を犯していないのに罰を加えることはできない。 侍たちが「自分は大将に見限られている」と思ってしまえば、奮い立つ心もなくなり、本当にうつけ者となって役に立たなくなる。「大将はどのような者をも大切に思ってくださる」と、すべての人に広く知らせたいものだ。 皆が役に立つのも立たないのも、大将の心一つにある。昔でさえ賢人は稀だったのだから、これからの世にはなおさら居ないだろう。大将といえども完璧な人間ではないのだから、見誤りや聞き誤りがどれほどあるだろうか。 たとえば、能を一番上演する際に、主役(太夫)に笛を吹かせ、鼓打ちに舞を舞わせては、見られたものではない。太夫に舞わせ、笛や鼓をそれぞれ専門の者に申し付ければ、人を変えなくても、同じ役者たちで能は成功する。国を持つ大将が侍を使うのも、これと同じことである。(ただし)罪を犯した者については、格別に身分の低い者などは(情状酌量して)見逃してやってもよいだろうか。
一、侍は、自分を偽らず、媚びへつらわず、自分の身の丈(分限)を守るのが良い。 たとえば、500貫の収入の身分で、1000貫の収入がある真似をする者は、たいてい「手苦労者(よからぬ画策をする者)」である。なぜなら、人の財産は天から降ってくるわけでも、地から湧くわけでもないからだ。領地の減収があったり、軍役が多い年があったり、火事に遭う者、養う親類が多い者もいる。これらのうち一つでも我が身に降りかかれば、1000貫の身分でも実質900貫にも800貫にもなるだろう。 それなのに(500貫の身分で1000貫の真似をする)そのような者は、百姓に無理な税を課すか、商売で不当な利益を得るか、町人を困らせるか、博打が上手で勝ち取るか、何かしら(不正な)出処があるはずなのだ。 こういう者が、権力者に贈り物をし、うまく立ち回ることで、家老も目がくらみ「これこそ忠義の人だ」と褒めれば、大将も「500貫の所領で1000貫のような侍を召し抱えている」と、見栄え良く思ってしまう。 そうなると、家中がそのような風潮を「大将のお好みだ」と思い込み、派手なことを好み、何とかして身分以上の真似をしようとする。その結果、借金がかさみ、台所事情は次第に行き詰まり、町人や百姓を倒産させ、最後は博打に心を寄せるようになる。 そうではない(真面目な)者たちは、「衣装が粗末だから今回の出仕はどうしようか」「人や馬が少なくて見苦しいから今回のお供はどうしようか」と迷う。大将の意向や同僚の目も気になるが、町人や百姓を苦しめることも、商売で儲けることも博打もできない不器用な者たちなので、どうしようもない。結局、仮病を使って出仕しなくなる。 そうなれば、出仕する侍は次第に少なくなり、一般の百姓も身分相応に派手なことを好むようになり、そのうえ侍たちに搾取され、家を明け渡し、田畑を捨てて他国へ逃げ走り、残った百姓は「何か起こればいい(一揆などを起こして)、領主に思い知らせてやろう」と企むため、国中がことごとく貧しくなり、大将の軍事力も弱くなる。 現在、上杉殿(扇谷上杉家)の家中の風儀はこのようである。よくよく理解しておくべきだ。 あるいは、他人から財産を受け継いだり、親類縁者が少なかったり、また生まれつきの福人(裕福な人)もいると聞く。このような人々は、500貫でも600~700貫の真似はできるだろう。しかし、1000貫の真似はよからぬ画策をしなくては覚束ない。とはいえ、これら(福人)であっても、身の丈を守っている者よりは劣ると考えるべきだ。貧しい者が真似をすれば、また例の(上杉家のような)風儀になってしまうからである。
一、万事、倹約を守るべきである。 華美を好めば、下の民から搾取しなければ出る所(財源)がない。倹約を守れば下の民を痛めつけず、侍から庶民・百姓までもが豊かになる。国中が豊かであれば、大将の軍事力は強くなり、合戦の勝利は疑いない。 亡き父・入道殿(北条早雲)は、「小身から身を起こした天性の福人だ」と世間では言っている。もちろん天運の加護もあっただろうが、第一には、倹約を守り、華美を好まれなかったからである。 「そもそも、侍は古風なのが良い。当世風(流行)を好むのは、たいてい軽薄者である」と、常々申しておられた。
一、見事な合戦で大勝利を得た後、驕りの心が生じ、敵を侮ったり、あるいは行儀の悪いことをしたりすることが必ずあるものだ。 慎まなければならない。そのような振る舞いをして滅亡した家は、昔から多い。この心構えは、万事に通じるものである。「勝って兜の緒を締めよ」という言葉を、忘れてはならない。
右の条々を堅く守るならば、当家は繁栄するはずである。
天文十年五月二十一日 氏綱(花押)
この文章は、戦国大名として名高い後北条氏の2代目、北条氏綱が、3代目の氏康に残した「五か条の訓戒」です。北条家が5代100年にわたって関東で繁栄した基礎には、この「義を守る」「適材適所」「分相応」「倹約」「勝って兜の緒を締めよ」というリアリズムと道徳を兼ね備えた教えがあったと言われています。